戦う片付けられない元うつ病の主婦。フリー翻訳家。息子たちは自閉症。夫は元中学教諭。
バイリンガルの脳
2012年01月10日 (火) | 編集 |
バイリンガルな心の中
これはBilingual Mind(バイリンガルの脳)と言うサイトで見つけた画像を無許可で転載したものです


私は幼稚園に入るまで、日本語しか話せませんでした。物心ついた頃、両親はすでに別居していて、私は日本人の母、姉、妹の4人で暮らしていました。外国人の父はときどき通ってくる存在でしたので、英語に接する機会はあまりありませんでした。

宜野湾市にあったカトリック系のミッションスクールChrist the King School (通称:キングスクール)の幼稚部に入園ための試験の時に面接の時点では英語はちんぷんかんぷんでした。面接に当たられたたシスターの簡単な質問に答えられなかった覚えがあります。多分答えられたのは自分の名前だけでした。

幼稚園生になってからは初日から授業は全て英語でした。最初は授業についていけなくてぼーっと聞いていただけでした。幸い私のようにあまり英語が話せないハーフの子が数人いたので、「今ミセス◯◯はなんて言ったの?」と先生の話が聞き取れないお互い助けあって記憶があります。その他は先生の仕草や英語が話せるクラスメートを観察したなら対応していました。

入園が9月。クリスマスまでにはとうにか英語でコミュニケーションできていました。

子供の頃は言葉で混乱している毎日でした。学校では授業中は英語で、昼休みなどは友達と日本語で話していました。家では英語、日本語、沖縄の方言、父の国の言語が飛び交っていました。英語は学校で習っているのでそれほど大変ではなかったのですが、日本語と方言の使い分けが難しかったです。方言だったと思っていた単語が実は父の国の言葉だったりしました。

混乱している子供

私は高校を卒業して社会に出るまで日本語は英語交じりでしか話せませんでした。日本語を勉強したことがないので、英語でしか言えない言葉がたくさんありました。

高校を卒業してから就職するまで1年半マクドナルドで働いていました。時々言いたいことが言えななくて誤解されることがありましたが、感のいい仲間が「通訳」してくれることがありました。就職するまでには日本語だけで話すことが苦痛では無くなりました。

日本語の読み書きは誰にも教わることもなく独学で覚えました。母は女手ひとつで私たちを育てていたので、読み書きを教える時間も心のゆとりもありませんでした。

母が平仮名くらいは読めたほうがいいだろうと、ローマ字つきの50音表を壁に貼ってくれました。私たち姉妹はそれを見て平仮名を覚え、やがて少女漫画が読めるようになりました。少女漫画には漢字にフリガナが付いているので、次第に漢字が読めるようになりました。それからティーン向け雑誌や新聞も読めるようになりました。

日本語で日記を書いていたことがありますが、ほとんど平仮名でした。今でもスラスラ書けるのは小学3年生の漢字まで、そこでストップしています。

今日本語で文を書くときはパソコンを使うのがほとんどなので、3年生以上の漢字を書くことはなかなか覚えられないと思います。

こうやってブログが書けるのはもともと英語での表現力がある方だからだと思います。英語で書けばもっと適切な言葉を選んで、もっとうまい表現ができます。絶対に英語で書いたほうが賢そうに聞こえると思っています。私にとっては日本語の方が難しいのでどうしても英語より低い同じレベルでは書けません。

ブログを書き続けているうちに日本語が上達していくのだろうと思います。しかし、最近年のせいか、日本疲れしています。これほど長く日本語を使っていると慣れっこになると思っちました。しかし最近携帯やiPod Touch、パソコンのソフトなどの設定を英語に変えています。日本語表記を読むのは英語を読むより0.1秒長くかかります。日本語は英語のように目に飛び込んで来ません。ものすごく意識を集中しないと読めません。だから今は英語に設定できるものは全てそうしています。

私はバイリンガルであるためにいい仕事に就けているし、映画やテレビは両方の言葉で楽しめるなど、いい点の方が多いです。でも頭の中はちょっと疲れています。

最近バイリンガル子育てのブログをよく目にします。お子さんをバイリンガルに育てている方はあまり詰め込みすぎないで、時々脳を休ませて欲しいと思います。その方が燃え尽きず、長続きでします。

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