戦う片付けられない元うつ病の主婦。フリー翻訳家。息子たちは自閉症。夫は元中学教諭。
子供を愛せない
2011年05月25日 (水) | 編集 |
先日友人に、子供を愛することができないということをカミングアウトされました。彼女はわが子に愛情を感じ無いことに罪の深い意識を感じています。お子さんに会ったことがありますが、そういうことを感じさせないしっかりとした元気なお子さんでした。愛情を感じていないということは言われなければ絶対に気づかなたかったことでしょう。

ずっと前にホームページに母性本能という伝説 ~ 子どもを愛せない女性たち"という記事を書きました。

正直言ってあまりうまく書けていなかったし、「子供を愛せない」というキーワードで検索した人にとってなんの答えもにもならない記事だと思っています。(これから書く記事もそうかもしれません。ダメもとでトライします。)

その時言いたくて、今も考えが変わっていないのは「子供を愛せない」というのは「あり」だということです。

アクセス解析を見ると毎日のように「子供を愛せない」というキーワードで検索して私のあの記事にたどり着く方々がいます。

実際、私のまわりには母親に愛されなかった人が数名います。母親の愛を知らないままなくなった友人もいます。

もはや、子供を愛せない女性の存在を否定することはできません

でも「子供を愛せない」と母親が思うというのは一般的にタブーとされています。愛せなくても、口にしてはいけません。

母親は無条件に子供を愛さなければならいと誰もが思っています。

だから子供を愛せない母親たちは無言で苦しむしかありません。

動物園の動物が育児を放棄する話をよく聞きます。Googleで検索すると 83,800件のヒットがありました。

動物園という特異な環境で育った動物は育児ができないという事例は結構多いのです。。

「母性」というのは本能ではありません。母性が生まれてくるにはそのような環境が必要です。「愛情溢れる家庭」「ある程度の経済的余裕」「安定した親の精神状態」などさまざまな条件が整っていなければ母性は生まれてきません。ある意味、育んて、学習して得られるものなのです。

まず社会が「子供を愛せない母親」という存在を受け止めて、そういった子供たちの幸せをみんなで考えることが大切だと思います。養子縁組という手段もありだと思います。コウノトリのゆりかごもありだと思います。幼児虐待を防ぐほうが大切だと思います。

私は子供を愛せなくても、幸せな子供に育てる方法もあると思います。

私は人様とは変わっていて、子供を自分の分身だと思ったことはありません。神様から一時的に預っている存在だと思っています。子供たちは私とはぜんぜん違う一個の人間です。所有物ではありません。死ぬときに一緒に連れていけるわけではありません。いずれは神様にお返ししなければなりません。

ですから、一緒に地上で生きている間はできるだけその子が持っている能力を伸ばし、持っていない能力は補ってあげるのが私の役割だと思っています。そしてできるだでのびのびと育てて、子供が自分を必要としなくなったら、私の親としての役割は終わりだと解釈しています。

親は子どもが自立するまでのスタッフということでどうでしょう。

愛することができるのならすばらしいです。

でも、愛せないのなら、「奉仕の気持ちで育てさせて頂く」というのではいけませんか?ボランティアみたいな感覚で?

愛情は絶対条件なのでしょうか?

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